平成23年3月25日~28日
(過去の闘病日記です)
25日から腹痛がいつもより強くなってきて違和感をおぼえた。
真夜中 右下腹部が痛くて目が覚める
少々便秘気味???
26日 無事に出るけど、やはり同じ部分が痛い。
だけど痛くて病院に行かないといけないほどでもなくて、様子を見る。
27日 同じく腹痛は続く。だるい。体がとてもだるくて
どこがどうなのかよく分からないけど、体調不良。。。
家事しながら寝て過ごす。
28日 だるい。夕方から急激に寒気がして熱が上がる(-_-;)
最高で39度近くまで上る(><;)
まあ…真夜中だし、どうせ明日検診で通院だから我慢。
腹痛&発熱で結構くるしかった。
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平成23年3月18日
(過去の闘病日記です)
この日は福島県からFAPの専門医の野水先生が、来県する予定で
もちろんこの私がかかっている病院に用事があって来る。
そのついでにFAP患者である私のデーター収集とFAP患者登録とか
遺伝子分析のための採血とか…遺伝子カウンセリング科の先生と
野水先生が計画を立ててくれていたのですが…
あの震災があって、野水先生の福島県も、うちの県も停電や交通機関が
麻痺し、電話も通じない状況が続いたり…。
とにかく野水先生の方も震災で大変な状況になり、研究どころでなくなり
来県できず(来県している場合ではない状況)延期という電話がかかってきた。
こんな状況じゃそうです。
あんな大変な時期にFAP登録どころではない。
だけど運が悪かったなぁ…と思いました。
延期と言われましたが、この計画のちに事実上「中止」になりました。
後で分かったことなんですが、野水先生自体、研究データー収集のための
出張もなくなってしまったそうです。少し残念です。
自分で福島の野水先生の元に通院とか、セカンドオピニオン受けに行けば
いいのだけど、それが出来ないから悲しいです。
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平成23年3月16日
(過去の闘病日記です)
地震のストレスか・・・?
ショックのため
めまい、動悸、吐き気。起立性低血圧の立ち眩みが連発で
起こり、さらに腹痛も加わる。
お腹に力が全然入らず違和感。
熱38度近くだるくて全体的に調子が悪い。
便が一日3~4回に減る。
ガスも出にくく便秘っぽい感じ(-_-;)
吐き気が増す。病院は今日(日曜日)は休みで明日も引き続き休診の予定と
テレビのテロップで流れるのを見る。
友人の情報では病院中の状態もパニクッていて
薬など(特に漢方薬)は物流STOPのため品薄で
処方は2週間分までと制限されているらしい。
病院はたぶん最終手段なので自分でなんとかこの不調を
治さないといけないと思い、腹部を温めて絶食。
そしてマッサージして腹痛が治まるのを祈る。
平成23年3月15日
(過去の闘病日記です)
子供の卒業式。
延期か?という噂もあったし、実際に学校関係者も色々と考えたみたい。
上の子の卒業式。
調子は昨日よりはいいので、オットとともに出席する。
式の途中で余震があって会場からどよめきが起こったけど
すぐにおさまったので、滞りなく式が終わる。
感動して感無量。
自宅に戻り、夜まで一回も便が出ずに焦る(><;)
もうダメならダメで仕方がないかな・・・と
なるようになれ!と、少し開き直る。
絶食とカイロで温め、お腹にお願いしながらマッサージする。
夜中、一気に便が出る('-^*)/
水様便がどばーーーと出て、腹痛も少し楽になる。
ホッとする。明日から大建中湯とおかゆを始めよう・・・と思う。
腹痛とストレスって関係あるんだな・・・としみじみと思った。
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平成23年3月11日
(過去の闘病日記です)
東日本大震災が起こった。
子供たちの学校では子供を学校側が預かり両親または
同居している人、祖父母など近親者にしか子供を引き渡ししない
という対策が取られ
しかも連絡網が全部麻痺しているため、電話もメールも使えない。
子供が16時になっても帰宅しない。
あれ?なぜだろう…と疑問に思うも、私自身イレウスで病み上がりで
学校まで迎えに行くのが困難で、オットに連絡もつかず
学校や他のママとも全く連絡がつかず、具合悪いけど学校まで
徒歩で子供を迎えに行く。
あぁ・・・坂の連続がつらい。
フラフラする。
行くと子供は保護者が必ず担任と顔を合わせて引き取るという
ことで(この時、私はこのことを全然知らなかった(-_-;))
全校生徒が400人以上いるけど残っている子供は数えるほどだった。
子供たちに
「他のお母さんはもっと早く来たのに、うちはなんでこんなに遅かったの!!」
「早い人は地震があってすぐに迎えに来ていたのにーーーーーー。」
と責められた。
担任の先生は私の体調を知っていたので
「お母さん体調大丈夫ですか?具合悪いのにすみません」
「急遽こういう決まりになってしまいまして・・・」と平謝り。
先生が悪いのではなくって、私の体調と私の甘い考えが原因で
こうなってしまって、すみません。。。と私の方こそ謝る。
子供は無事に引き取り、歩いて帰宅。
体調が悪い。全身疲労感。腹痛。吐き気。めまい。
ここの町も大きく揺れて部屋の中のものが散乱して
停電になり、冬の雪の降る中、電気が使えず
石油ストーブでご飯を作り、みんな毛布にくるまって
停電のまま一晩過ごし、学校は休校。
この頃になるとメールだけはなんとかやり取りできるように
なったりして、友人からの伝言メールで知る。
夕方に停電が解消し、電気が使えるようになる。
知らず知らずのうちに涙が出る。
テレビに映し出される次々起こる津波や原発の様子が
衝撃的すぎて釘付けになって、身も心も砕けて空っぽになった。
自分の知っている町、かつていた町が被害にあいショックだ。
義兄の住む町は津波の被害にあい、まったく連絡がつかず
オットと二人でなすすべもなく呆然とした。
病院も休診。町や物流、インフラ、色々な機能がすべて麻痺した。
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先日、長文書いたのに自分で、間違って消してしまって
げっそりしちゃった。。。更新のろくて(*_ _)人ゴメンナサイ 。
平成23年3月9日
(過去の闘病日記ですよ☆)
通院日。3科受診なので大変です(-_-;)
泌尿器科⇒婦人科⇒遺伝子カウンセリングというコース。
=泌尿器科=
尿検査⇒超音波エコー(残尿測定)
結果…不合格!
あぁ…やっぱり。。。って感じ。
だってスッキリ感がなかったもの。
なんか嫌な予感していたんだ。でもいくら出しても
もう出ないものは出ないし…。
残尿あり。50~60㏄ 尿は細菌なしできれいなので問題なし。
問題は排尿の機能が低下しているということで・・・
ウブレチドとエブランチルの薬を飲んで、排尿をサポートしてもらう
ことになりました。。。
この薬、副作用があって私はめまいやクラクラ、気持ち悪い感じが
出るので、あまり飲みたくないけど、そんなこと言ってられないね。
「寒さのせいとかなんじゃないですかね?」と先生に聞いたら
「そんなの関係ないよ」とおっしゃっていました。
素直に薬をいただくことにしました。これでまた様子見。
=婦人科=
子宮体がん検査が前回異常ありだったので、再検査の結果発表。
「大丈夫だ!」という自信はあるものの…待っている間は
やはり色々と考えてしまって、ドキドキする。
結果
超音波エコー異常なし
子宮対がんの検査も陰性でセーフ(o^-')b
ただし、偽陽性だったしFAPでもあるので4カ月くらいに一回の
ペースで子宮体がんの検査をしていくスケジュールを提案された。
不正出血がある時はすぐに来て検査を受けること!と言われる。
婦人科も泌尿器科もあっさりと卒業できないから
なんか憂鬱になってボーと考えていると
ゆらゆら・・・ゆらゆら・・・
あー、すんげーめまいする…と思っていたら
みんな「地震だ、地震だ!」とちょっと大騒ぎになった。
長い横揺れでこわくって先生や看護師さんも待合室に出てきて
どうなることかと思った。
この鉄筋の大きな病院でこんなに揺れるなんて。。。(><;)
最初、患者さんみんな「自分のめまい」だと思ったらしく
私もいつもめまいするから、また目が回っている…と思ったけど
これがまさかあの大きな震災の前触れだったとは…。
この時、誰一人として想像出来ななかっただろうな。
とにかくこんなに長い時間、あんなにゆっくり揺れる地震は
初めてでとにかく「不気味」という一言でした。
ちなみに震源地三陸沖、マグニチュード7.3の震度4でした。
こわかったです。
=遺伝子カウンセリング科=
3月18日福島の野水先生が、この病院に来院するついでに私の
血液を採血して、FAP患者登録し遺伝子を解析して
結果は福島に行かずにここの病院で聞く。
野水先生は10時頃来るので、私とオットは9時半ころにはここに来て
ください。
当日はただの採血ではなく、FAPの説明、患者登録の趣旨、
子供二人をこれからどうするか…などの説明もあるので、旦那さんも
一緒にということを打ち合わせして終了。
だけど。。。3月11日の震災でこの話はすべてなかったことに
なってしまうのでした。。。
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